ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

シムラーにて

 
 シムラーにて風邪をひきました。
 12日に、マナリからバスで10時間かけて到着後、なんとなく調子悪いなと思っていたら、どうやら風邪のよう。翌日はもともとなにもせずに休もうと決めていたので、少し外に出たくらいでした。
 14日、まあ風邪もたいしたことないだろうと街を本格的に散策しました。で、まだ体調に違和感はありながら、15日は州立博物館に行ったり、ガイエティ・シアターという英国時代の建築を観たりしていたのですが、その後シャワーを浴びたのが仇したのか、急に熱が上がってきて、ベッドの中でこれはやばい、となったのでした。
 それで結局ホテルのオーナーに薬と湯たんぽをもらい寝ました。
 オーナーには「夕食になにか入れて、寝る前にこれを飲むんだ。夜中に汗だくで目覚めても絶対にベッドからは出てはいけない」と3回くらい言われ、恐る恐る飲んで寝ると(以前のインド旅で人に「インドの薬は効きすぎる」と言われていたので、半分に割って飲んだ)、本当に信じられないくらいの汗の量で目覚めびっくり。おねしょしたのかと思ったくらい。
 するとけろっとよくなって、結局なにもせずきちんと休み、それでその翌日が今日、というわけです。インドの薬はすごい。
 なので、シムラーではほとんどなにもしていないに等しいのです。
 本当に情けない限りで、なにをするにも強靭な体が必要なのだと思い知りました。
 実は、熱で寝込んだ翌日に行きたかったサラハンというところがこの旅で最も行きたかったところでした(過去形)。旅のきっかけといってもいいところです。そこの建築を本で見て、ずっと憧れていたのですから。本当なら、今ごろそこにいるんですけどね。
 だから、熱が上がってきて一番しんどいときにそこへ行かないことを決断せざるを得なくなったは、本当に悔しいの一言(体温計ありますか?という意図で、ホテルのボーイに「ドゥー・ユー・ハヴ・サーモーミター(thermometer)?」と聞いたが伝わらず、額に手を当て熱がある仕草をすると、「オー、テルモミテル!」と言われ、インド発音にまだ戸惑う)。
 
 で、シムラーの街について。
 ここは、イギリス統治時代の「夏の首都」で、英国風の街並みが残る大きな都市です。だからインド人にとっても有数の観光地です。上に書いたガイエティ・シアターという劇場も含め、クライスト・チャーチやその前の広場なんかは、「インドにこんな場所が? 来る国を間違えたのでは?」と戸惑わずにはいられない場所です。それらの建築が残る丘の上の通り(ザ・モール)は、ヨーロッパ風の歩いていて気持ちのいい通り。本当にここはインドか、という清潔感。ちなみに「夏の首都」というのも、イギリス統治時代は、夏と冬で首都機能を移転していたらしく、標高が高くて涼しいということでシムラーが夏の首都だったとのことです。冬の首都はコルカタ
 街は本当に綺麗です(もちろん丘を降りて庶民エリアに入るとインド独特の混沌があるけど……)。
 ここに到着したそのときには、日が落ちていたので街の全貌は見えなかったけど、夜景が綺麗でした。これもまたよし。
 簡単なレポートでした。
 写真でどうぞ。

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標高は約2,500m
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日が傾いても絵になる
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体重計測一回5ルピーで商売するおじさん
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街の一番の目玉 クライスト・チャーチ
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ライトアップされたタウン・ホール
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しかし庶民エリアはインド感あり
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州立博物館で見た一番のお気に入り作品
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どこからも眺めがいい

 また明日もシムラーに滞在し、明後日にデリーへと向かいます。デリーはただの日程調整で(観るものもないし)、21日の深夜の飛行機で日本に帰ります。お、お、おにぎりが、食べたいんだなあ。