思い出はどんな味
東北旅出発前として、昨日「知らないところに向かって」と題した記事を書いたが、実はまだ東北には達していない。石川から向かうとなると、その前に新潟を通らなければならないからだ。
通るというか、ぼくはここでまず1泊した。
新潟は、ぼくが大学生として4年間過ごした地で、「知らないところ」どころか、日本の地方の中でもだいぶ知っているところなのだ。
1泊したのも、大学時代の後輩(学科・部活ともに)の家だし、お昼ご飯は研究室の同期と食べた。第2の地元のような過ごし方だ。
まずこの新潟でちょっとだけ楽しんで、それから東北(山形)へ向かおう。出発前からそう決めていた。
メインベントは、なつかしい地巡りだ。主に大学近辺になる。
ぼくは大学近くの坂の下のアパートを借りて、4年間ずっと住んでいた。あたりは静かな住宅地で、個人住宅と学生向けアパートが混在している。やはりそこを歩いてみたくなって、新潟駅から越後線に乗って、大学に向かった。
新潟駅で切符を買う、240円(230円だったような気がしたけど…?)。目指すは新潟駅から7つ目の駅、内野。そこに着くまでには、白山、関屋、青山、小針、寺尾、新潟大学前と停まる。それは変わらない。車両は4人掛けのボックス席だ。学生風の若い男女が多い。ぼそぼそと聞き取りづらいアナウンス。変わらない車窓からの風景、変わった風景(窓は開閉可能だ)。誰も静かで、電車は淡々と駅から駅へとつながってゆく。
内野駅に着くと、綺麗に改装されていて、少し拍子抜け。
出ると、クリーンな住宅街が広がり、人はなく、怖いくらいに静かだった。
いつもの道を通り大学へ向かう。
ここで写真を撮ったな(ぼくは元写真部)。ここでも。ああ、この道、あそこへの近道だ。あの人、このへんに住んでたな。
ほとんど変わってないない街並みは、ぼくをえもいわれぬ不思議な気持ちにさせた。タイムスリップしたような、夢を見ているような、そもそもぼくは学生のままのような、しかし全然知らない街のような……。
学生時代の、もう忘れていたはずの思い出が、次から次へと蘇ってきた。
ああ、こんなこともあったんだ。あんなこともあったんだ。
10年ほど前の話。たった10年、されど10年。なにがそうさせているかはわからないけど、ぼくは不思議な幸福を味わったような気がした。この幸福感は、いつもの旅では味わえないだろう。
これは過去への旅なのだから。
これから先(というか細かいところ)は、旅から帰ってからの旅行記に書こうと思っている。全部ここに書いたら意味ないから。
——新潟から山形へと向かうバスにて