ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

縁・自由・身体 〜金沢・現代会議を聴いて〜 ①

 
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 昨日11/28(火)、金沢で開かれた講演会+ディスカッション「金沢・現代会議」というイベントに参加してきました。
 これは、鈴木大拙館が毎年主催しているイベントで、ぼくは一昨年から聴くようになったものです(そのときは深澤直人さんと中沢新一さん)。
 今回は、姜尚中氏と内田樹氏が講演ということで、ずっと楽しみにしていました。
 鈴木大拙館が主催しているので、話のテーマは仏教(特に禅)であったり、または東洋思想であったりということです。
 今回もとても興味深く聴いてきました。そのレポートみたいなものを書こうと思います。
 

因果の中の人間

 まず、姜尚中氏が講演。題は「因果に生かされ、因果に生きる」というもの。
 因果という言葉はなかなかうまくいい表せない。
 姜氏は、はじめに芥川の「蜘蛛の糸」の話を出した。悪人だったカンダタだが、生涯のうちに一ついいことをしたからと、お釈迦様が天から彼のいる地獄に蜘蛛の糸を垂らすものの、自分だけ助かりたいからと他の者らを蹴散らした末に、その糸は切れてしまい、また地獄に落ちるという話。
 これはよく「因果応報」の話とされる。悪いことをしたのだから悪い目に遭うのだ、と。
 ここで姜氏は、ある人(著名な人なのだけど名前は忘れてしまいました)の解釈を例に出して、それに反論する。
 つまり、悪いことをしたのだから悪い報いを受けるというのは、罪を為したのだから罰が与えられるという、シンプルなキリスト教的な図式ではないか、と。
 しかし因果応報というのはそうではない、と姜氏は話していた。
 それはどういうことだろう。
 簡単にいってしまえば、悪(罪)→罰という図式に限らず、因果応報というのは、善も悪も、それを為した人にそれ相当の報いがあるというものなのだ。悪と同様に、善いことには善い報いがある。それは善悪の彼岸にあると。
「因」というのは原因、「果」というのは結果。
 全てはその因果関係によって成り立っているというのは仏教の根源的な教えで、それを「縁起」、ひいてはその様相を「空」という。もっというと、因を遡ってもその因となる無限の因があり、果を突きつめてもその結果である無限の果がある。ものの成り立ちは、その無限のネットワーク内での互いに寄り添う因果関係である、というもの。
 だから、因果応報と一口にいっても、それは数式で綺麗に表されるような簡単なものではない。
 ここで姜氏は、お得意の夏目漱石を引き合いに出した。漱石の書簡を紐解くと、そこには「因果」という言葉が数え切れないくらい出てくるのだという。
 そこで出た印象的な言葉は、生死を考えても「わからない」、「因果」としかいいようがない、というものだった。
 生き死に、世間のこと、人間のこと、男女のこと…。そういう難しい問題をいくら考えても、わからないものはわからない。強いていうなら、それは「因果」だと。
 まだわかりづらいかもしれない。
 例えば、一つのマグカップがあるとする。するとそれには、原料となる粘土があり、さらには粘土を作るに至る微生物の働きや微生物の活動源となるエネルギーや、または粘土をとってくる作業員、ろくろを回す職人、そしてその職人には二人の親がいる、その親の親、その人たちの栄養源である食物、食物を育てる土や水、太陽の光…。と数えればきりがない。それらは一つの線上にあるのではなく、無限のネットワークの一部としてある。簡単に、こうだからこうなった、とはいえない。
 人の世のことも、なにがどうなって今に至るのか、さらに未来はどうなるのか、などということはわからない。それは無限の因果がなせる技であり、奇妙な因果としかいえない。誰にも「なぜ」ということはわからず、かといって神のみが知っているというわけでもなく、ただ無限の過去からの時間の流れでそうなっているとしかいえないのだ。
 因果はほとんど「縁」という言葉にいい換えられる。
 上記のような不思議な成り立ちを、仏教では「縁」と呼ぶのだ。
 ここで個人的な話をしよう。
 ぼくはこうして文章を書いたり、詩を書いたり、旅行記を書いたりして、本を作っている。でもぼくは学生時代から文章を書くことがずっと苦手だった。コンプレックスがあって、嫌いだった。作文が嫌で仕方がなかった。中学のころは国語は得意だ方だったが、高校に入ってまるっきりだめになり、センター試験では200点満点中80点くらいだった。
 しかし、なぜだかはわからないが、あるとき、ぼくは詩を書きはじめた。いつの間にか書いていた。さらには小説を書いたり、旅行記を書いたりしていた。なぜそうなったのかは自分でもよくわからない(旅行記を書いたのは、学生時代の恩師の勧めであることは確かだが)。なんの因果か、とでもいいたくなるような不思議な巡り合わせだ。
 こういう例一つとっても、なにをしてそうせしめているのかと考えても、それはそういう縁だから、としかいいようがない。漱石も、「因果としかいえない」といってしまうほど。

自由と責任

 ここで話題は変わり、じゃあ「自由」ってなんだ? という話になる。
 こうやって因果にコントロールされているのだとしたら、我々の自由ってなんなのだろう。
 今のグローバル社会に共通するイデオロギーは「自由」だといってもいいだろう。自由を求めて人は努力し、成長し、ときに戦ったりもする。そこには、努力すれば報われる、限りない成長という夢物語がある。
 もちろんそれが間違っているというわけではなく、はたして自由の先になにがあるのだろう、ということ。
 漱石は『こころ』の中でこう語っている。
「自由と独立と己とにみちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの寂しみを味わわなくてはならない」
 自由の犠牲として、人は寂しく、虚しくなる。
 またここで、自由があるから「責任」が生まれる、といってしまってもいいだろう。
 人には自由意志があり、自由な世界の住人だからこそ、その言動には責任をもつものだ、という暗黙の了解のようなものがある。自分のなりふりには自分で責任を持て、といわれる。自己責任論がはびこる。
 しかし、我々は自由なように思えて、計り知れないような因果に生かされ、そのただ中で生きているのだとすれば、本当にそれでいいのだろうか、という問題が出てくる。
 しかし近代はその考えを許さない。漱石は「趣味の遺伝」という短編の中でもこう書いている。
「昔はこんな現象を因果と称(とな)えて居た。因果は諦める者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場が極まっていた。成程因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因を極めなければ承知しない」
 自由の犠牲として、責任論が生まれ、事件・事故にははっきりと原因があり、それを突き詰めないと気が済まない。はたしてそれは本当の自由といえるのだろうか。
 ここでぼくは、最近読んだ『中動態の世界』(国分功一郎著、医学書院)という本のことを思い出した。この本には「意思と責任の考古学」というサブタイトルが付いている。詳しく書くと長くなるが、こういうこと。現在では、能動・受動という、する側とされる側のはっきりとした対立があるが、その概念ができたのはごく最近のことで、かつては「中動態」という態があったという。簡単な例と出すと、カツアゲされて金を出してしまうようなときの行動で、それが自由意志による能動的な行為ではなく、かといって完全な受動的行為でもない、という場合だ。かつてはこの態が、主要な態として成り立っていた。著者ははしがきのような文章で、薬物依存の患者が「しゃべっている言葉が違うのよね」と話したことを書いていた。このことについては、後で詳しく書くことにする。
 これは、あくまでぼくが勝手に考えたことなので、この講演とは別です。
 ただ、姜氏はここで、東日本大震災の際のある小学校の事例を出していた。その小学校では地震後、引率の教師の指示の元で、所定の箇所に避難していた。しかし、津波は想定以上のものであり、結局85名の命が亡くなった。そこには教師10名の数も含まれる。これは読者も知ってのとおり、遺族がその責任の所在を巡って、裁判で争っている最中だ。
 例えばこのことをどう考えればいいのだろう。
 責任問題がシンプルな図式で説明できないからこそ裁判が長引いているのだろうが、法的なことは置いといて、はたしてこの問題に答えはあるのだろうか。
 
 
 ということで、今日は姜尚中氏の講演を聴いてのことを書きました。
 イベントは、この後に内田樹氏の講演があり、さらにお二人による対談があります。
 続けて書いたら長くなってしまうので、それについては、また後日追って書きたいと思います。
 長い文章、最後まで読んでくださってありがとうございました。
 
次回予告内田樹「大地の霊について」