ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

日記 2018/04/24

 
 先日、妹の結婚式のために大阪に行ったときのことを書きます。


 
 会場が新大阪だった。
 それで、我が家は前日に車で出発し、午後3時ごろにホテルに着いた。
 その日は特に用事がなかったので、新大阪の駅まで歩いて行って、なんとなく物色していたのだけど、特に面白そうなものがなかったのでホテルまで帰ろうとしたときのこと。
 ぼくが下りのエスカレーターに乗ろうとした瞬間、反対側から上ってきた女性がバッグからイヤホンを落としたのを目撃した。
 そういうときって、なぜか気づいているのは自分だけ。これだけの雑踏の中で…とそれがいつも不思議なのだけど、それは置いといて、落とした女性に教えなくては、と思うのが普通だと思う。
 もちろんぼくもそう思ったのだけど、ふとこんなことが脳裏をよぎった。
(あの人が落としたと思ったけど違ったらどうしよう。恥ずかしい。違ってなくても、変な人と思われないだろうか。自分の身なりを気にしたり。それから、はあ、イヤホンがどうかしましたか、どうも、みたいな顔されたらどうしよう…)
 などと。
 というのも、ぼくはいつもそういう場面(雑踏の中でだれかが物を落とすのを目撃する場面)に出くわし、その度にちゃんと教えてあげるのだが、一度だけ、はあ、それがどうかしましたかみたいな顔をされたことがあったのだ。それが脳裏をよぎったのだ。
 今思い出してみると、その、はあ、それがどうかしましたかみたいな顔をした人が落としたものというのが、どこかのクーポン券だったので、今回のイヤホンとは全然話は別なのだが、その瞬間はそこまで頭が回らず、結局ぼくは下りのエスカレーターに足を乗せてしまい、そのまま自動で、過ぎ去ってしまったのだった。
 それはもう10日ほど前の話なのだが、いまだに気にしている。
 ああ、あのときちゃんと女性に教えてあげるべきだった。イヤホンって結構大事だし、落としたらへこむかもな、と帰ってから考えていた。
 これは余談だが、帰ってからテレビを見ていると、NHKで「LIFE!」というコント番組がやっていた。その1つのコントが次にような話だった。
 ある青年(ココリコ田中?)が、道で、おじさん(塚地武雅)が買い物袋をぶちまけてしまいどぎまぎしている場面に出くわす。そのときは戸惑うもの、結果立ち去ってしまう。彼は夜、布団の中で、あのおじさんを助けるべきだったと後悔して眠りにつくのだが、翌日件の道を通りかかると、そのおじさんがまだどぎまぎしている、というもの。
 こいつの気持ちわかるなあ、とタイムリーに思った。そして、こういうシチュエーションに出くわしたときって、やっぱりみんなこういう感覚になるんだな、とほっとした。
 閑話休題
 しかし、あの、だれかが物を落としたのを目撃したのが、群衆の中で自分ただ一人だけという瞬間は不思議なものだ。同様の体験をした人も多いと思う。どこかふわふわした、落ち着かない、数瞬が数時間にも思えるような、不思議な感覚だと思う。自分が時空を超えて瞬間移動してきたその瞬間みたいだ(人々からは自分は見えないという設定)。その時代に干渉不可能という前提ならタイムスリップってできるんじゃないかと考えていた子供のころを思い出した。
 それにしてもイヤホンをなくすって、考えてみれば一大事ではないし、かといってとるに足らない些末事でもない、なかなか微妙な位置付けですね。




 
 こういうどうでもいいことを、このブログでもたまに書くかもしれません。