ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

山陰旅行2018 レポート「3日目 米子編」

 
 これまでのお話。
nouvellemer.hatenablog.comnouvellemer.hatenablog.comnouvellemer.hatenablog.com

 8月30日。木曜日。
 鳥取県西部の米子に向けて出発します。
 鳥取市米子市は、県の両端みたいな位置関係で、昔は国としては別々であったようです(因幡伯耆)。
 この旅には2大目的があって、ひとつ目は鳥取民藝美術館だったのですが、そこが休館日だったとは前々回の記事に書いたとおりです。
 そしてふたつ目が、米子にある「植田正治写真美術館」です。
 ぼくは、新潟の大学に入ったときに、なにか部活かサークルかに入りたいなと思い、今ではその理由とか動機とかは全く思い出せないのですが、写真部に入ったのでした。
 そのころは(2004年)、デジカメが一般にまで普及しかけているような時期で、ぼくは持っていませんでした。周りも持ってる人は稀。
 だからぼくは、写真部に入部すると、フィルムの一眼レフを買い(オリンパス OM-1)、モノクロで撮ったものを自分で現像してプリントして、ということを教わったのです。今となっては、ぼくの後輩たちはデジカメ一辺倒とのことですが……。
 写真部はぼくの青春でした。学生のときに出会った友とかって、やっぱり特別だな、と今振り返って思います。話し出すと脱線するのでやめますが。
 とにかく、ぼくは写真を18歳のときにはじめていたということで、植田正治という写真家もその流れで知ったのです。有名ですし。
 それで植田正治写真美術館なる存在も知って、いつか行きたいなとは思っていたのですが、今回それを果たすことになりました。設計も有名な建築家で、それも行きたい理由のひとつ。
 米子の隣の境港市出身の植田は、町の写真館の店主でした。プロといえばプロですが、「写真家」という意味では、最初はアマだったといえるのではないでしょうか。生活の合間に、家族を連れて撮影をしていたらしいです。
 有名な写真は多くあって、なんとなくみんな鳥取砂丘で撮っているものだと思っていますが、境港近辺の砂浜のものも多いということはこの美術館で知りました。
 植田は、その名も「植田調」と呼ばれる独特のトーンで知られていて、知っている人が見ればすぐにそれとわかる作風です。コントラストの淡い、静寂感のある、詩的な雰囲気の作風。素人が真似したら「ネムい!」と叱られるような、すれすれのところで成立しているのです(「ネムい」とは、写真の用語で、コントラストのはっきりしない、主張が曖昧なぼけっとしたものにいう言葉です)。
 米子駅にはちょうどお昼頃に着。ちなみに、ややこしいですが、美術館があるのは伯耆町です。
 写真部時代の先輩Uさんが米子在住なので、駅で待ち合わせをして、美術館に一緒に行くことになっていました。
 美術館に行くには、一応バスがあるのですが、一日数本で、最終も4時くらいらしく、どうも不便とのことで、タクシーで行くことに。ちょうど夏休みの時期で、期間中、米子駅から2000円で行けるというサービスがあると先輩が教えてくれたので、それを利用しました。行楽シーズンにここに行きたいという方は参考にしてみてください。
 美術館があるのは、本当になにもないところ。田んぼしかないです。これはタクシーしかないなと、着いてみて納得です。
 でも、大山を目の前に臨む、好立地といえば好立地。大山を独り占めできます。事実、客はほとんどいません。
 展示は、いい意味で期待どおり。今までなんとなくでしか知らなかった植田の写真をたっぷりと楽しめて、満足。でも鑑賞の間、ほとんど先輩と昔の話などで盛り上がっていたので、あまり真面目には観てないけど。
 美術館は、みっつの展示室の塊がガラスの通路でつながっているような構造で、そのガラスから大山が眺められるのです。そしてその前の農道を、軽トラックが1台横切ったりする。ほのぼのしてます。なんの音もなく、不思議な静けさでした。
 結局、先輩との話は尽きず、米子駅に帰ってから飲むことに。だいぶ長いこと話していて、解散したのは夜中でした。
 写真、全然撮ってないです。すみません。
 おまけとして、鳥取豆知識。鳥取の道は、全て大山へと向かっているのです。おそろしいですね。

f:id:nouvellemer:20181010205112j:plain:w500
 
 次回、旅に疲れて楽しめない!?の巻。