ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

邯鄲の夢枕

 

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 ぼくは子供のころから「笑ゥせえるすまん」が好きで、去年は、藤子不二雄A先生の故郷、富山で催された展覧会にも行ったこともあります。
 都会に、仕事に、家庭に、学業に、現代に生きることに疲れた平凡な人間の“悲しい欲望”を叶える喪黒ですが、最後には、その現実逃避を約束していた契約を破った主人公に、喪黒が罰を与えるというプロット。ぼくはここにずっと共感していて、大好きなのですが(これは実はハッピーエンドなのではないかという仮説は置いといて)、今回は「邯鄲の夢枕」という回を観たことについて書きたいと思います。(Amazon primeビデオで全話観れます)
 といっても、「笑ゥ」のエピソードのことではなく、喪黒が主人公に差し出した「邯鄲の夢枕」についての話を。
 これは唐の時代の中国で生まれた話で、現代の日本でも広く親しまれている話です。喪黒が話したのは、以下のようなもの。
 
 ある貧しい田舎に暮らしていた青年・盧生(ろせい)は、こんなところにいてはいけない、役人として出世しよう、と志し、都に登ることを決意した。
 その旅の途中、邯鄲(かんたん)という地に立ち寄り、そこにあった、不思議な老人がやっている宿にお世話になることになった。
 青年は自分の夢をひとしきり語った。それを黙って聞いていた老人は、
「まあまあ。もうすぐ飯が炊けるから、この枕で昼寝でもしてはどうか」
 と陶磁製の枕を差し出したので、青年はそうすることにした。
 青年は夢を見た。無事都に登り、役人登用試験に合格し、順調に出世し、美しい女性と結ばれ、ときに謀略で投獄させられ、自殺を思うまでに追い詰められるも這い上がり、運よく罰を逃れ、そして最後には頂点まで登り詰め、多くの子や孫にも恵まれ、死ぬときも彼らに囲まれながら、眠るように死んでいく夢を。青年は、人の世の栄枯盛衰を知った。
 そこではっと目が覚めるのだが、そこは変わらぬ老人の宿。寝る前に準備していた飯もまだ炊けていない。
 老人は言う。
「あんたの見ておったのは夢だ。人の一生も、飯が炊けるまでの間、一炊の夢に過ぎんのだよ」
 
 これは、人の一生の儚さの例えとして有名な話なのだけど、今ではいろいろな解釈や脚色が広がっていて、日本では能の演目にもなっているし、作家もこれを下敷きにした作品をいくつか書いています。その中の一つに、芥川龍之介の「黄粱夢」という短編があります(正確には、原典では飯ではなく粟粥=黄粱を炊く間の話なので)。
 これは夢から覚めたあとから始まる短編なのですが、芥川は話の最後に、青年にこう言わせます。

「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです、あなたはそう思いませんか」

 その後、「呂翁(=老人)は顔をしかめたまま、然りとも否とも答えなかった。」と結んでいます。
 
 人の一生は短い夢なのなら、むしろ、生きてやろうという気力が湧いてくる気がします。自分の思うようにしたい、しなければならないと、目が覚めるような気持ちになります。
 この話に、そんなことを教わりました。
 
※「黄粱夢」は青空文庫で読めます。1000字ほどの短い話なので、全編が気になった方はこちらをどうぞ。