ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートエッセイ「3日目:青森にあらわれた三島由紀夫」

 

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 この旅の合間の時間に読むために、ぼくは1冊の本を持ってきた。三島由紀夫の『小説家の休暇』(新潮文庫)という本だ。あまりヘビーなものでは気が滅入るし、長い小説だとその世界とこの旅の世界とがちぐはぐになるし、なにかちょうどいいものはないかと、山のような積ん読本の中から選んだのがこの本だ。

 これは小説ではなくて、三島が時世の文学について軽い日記風に書いた体の評論集で、長くて数ページほどの短い文章が独立して載っている本だ。軽く立ち読みして面白かったし、これなら旅に合うと思って持ってきた次第。事実、電車の中で読んでも苦にならず(眠くなることはあるが)、旅の世界観を邪魔するものでもないので、持ってきて正解だったと思っている。

 この本を読んでいて印象に残ったのは、三島の、太宰に対する特別な嫌悪だ。6月30日(木)の項にはストレートにこう書いてある。

 ○君は、私が太宰治を軽蔑せずに、もっとよく親切に読むべきことを忠告する。

 私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。

(『小説家の休暇』 p.19)

  続いて、「第一は私は……」と、太宰の嫌いな点をいくつも挙げ始める。簡単にいうと、三島は、太宰が「弱さ」をこれ見よがしに文学にしていることが気に入らないようだ。己の精神的な弱さ、人間としての弱さを、押し付けるようにしてポーズをとる太宰のことが猛烈に許せないのだ。そして、決定的にこう述べる。

 いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。

(同書 p.20)

 厳しい言葉だ。これは、三島が信じるひとつの信念に由来するのだろうということは、この本を読んでいるとよくわかる。つまり、「強さ」への信奉である。三島は幼いころから身体が弱く、部屋の中で本を読むような生活ばかりしていたが、その自分の弱さを猛烈に嫌い、肉体的にも精神的にも強く鍛え上げていることとは無縁ではあるまい。

 さらに引用すると、こうある。

 文学でも、強い文体は弱い文体よりも美しい。一体動物の世界で、弱いライオンの方が強いライオンよりも美しく見えるなどということがあるだろうか。強さは弱さよりも佳く、鞏固(きょうこ)な意志は優柔不断よりも佳く、独立不覊(ふき)は甘えよりも佳く、征服者は道化よりも佳い。

(同書 p.20)

 この本が出されたのが昭和30年とのことだから、太宰が死んで7年後に、三島はこう思っていることになる。太宰のその最期を知ってのことだ。太宰のデビューが1934年で、心中するのが1948年。その期間、三島は9歳〜23歳になる。三島由紀夫としてのデビューが16歳なので、当時から太宰のことはリアルタイムで知っていたことになる。

 ぼくにはどうしても、この2人が似た者同士に思えてならない。極まり切ったナルシストで、浅はかな見方かもしれないが、それぞれのナルシシズムと文学性とが非常によく親和しているように思えるのだ。もちろん当時の三島は、自分が(事情は大きく違えど)太宰と同じように、自死というかたちをとることになろうとは思ってはいなかっただろうが。2人ともそのナルシシズムと文学とが極まっている点では同じだが、それぞれ逆の方向に極まっているのだろう。ちょうど、南極と北極が同じような気候をしているけれど決定的に違うように。片方は自分の弱さを猛烈に愛し、弱さを文学にしてみせた。片方は自分の弱さを猛烈に嫌い、強さを(文学を含めた)人生のすべてにしてみせたのだ。

 

 そんな、太宰の生家「斜陽館」を訪れる旅の途上で、彼を特別嫌っていた作家の文章を読むという、思わぬ出会いであった。写真がその斜陽館である。展示がいまいち面白くなく(おおかたの「記念館」の例外にもれず)、ぼくはなんとなくの雰囲気を味わっただけだったが、建物として一見の価値ありといえるのではないかと思った。