ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートエッセイ「2日目:秋田の味」

 

f:id:nouvellemer:20170526113834j:plain

  秋田にはずっと興味があった。その文化に、である。

 なまはげに代表されるような伝統風俗、いぶりがっこやきりたんぽなどの食べ物、土方巽の舞踏(写真集『鎌鼬』)、そして民謡。これらの文化は、ぼくの中ではひとくくりにつながっていて、ひとつの大きな「秋田」というイメージをかたちづくっている。秋田の人からはひとくくりにするなと言われそうだが、ぼくは違いがわかっていないわけではなくて(もちろん深くは知らないが)、それらは同じ共通した「味」のようなものがあると感じている。うまくいえないが、強いていうなら、縄文・弥生の古代的な味というか、土の味がするようなイメージがある。

 昨日たった半日しか滞在しなかった秋田だが、その味を思った以上に味わえたのではないかと思っている。

 

 話は変わるが、ぼくの家では父がライブハウスのようなことをやっていて、詳しくは「リンク」欄のSpace工場を参照されたい。

www.space-koba.com

 ここで去年の夏、秋田を拠点に活動するバンドを呼んだことがあった。それが、仏教レゲエバンド「英心 & The Meditationalies」というバンドだ。秋田で住職として生活する英心さんとその仲間たちによるバンドだ。Space工場史上でも特別な日になって、ぼくにとっても忘れられないライブのひとつだ。

 そのときににはメンバーの皆さんとも夜通し話すことができて、「いつかぼくたちも秋田に行きます!」と約束して別れたのだった。

 そしてぼくは(一人ではあるが)本当に会いにいってしまった。

 メンバーの中で、秋田市内の街でStudioというイベントスペースを運営している方がいて、秋田に行ったときはそこにお邪魔しようと考えていたのだ。はじめはそれだけのつもりで、つまり単にStudioを訪れるだけのつもりでいたのだが、旅の前にそのメンバーの方に連絡を取ってみると、あることが判明した。なんと、その日は英心 & The Meditationaliesのライブがるというのだ! しかも秋田市内で。

 ぼくは秋田にはその日(昨日)しか滞在しない予定だったのだが、ちょうどその日に秋田でライブがあるとは! この偶然の不思議な巡り合わせには驚いた。この東北旅の美味しいスパイスになりそうだ。旅の前にそう期待し、心待ちにしていた。

 そして昨日、Studioにお邪魔した後、そのライブに同行させてもらった。

 ライブといっても、それは彼らのソロライブというわけではなく、正確にはライブというよりは、神事の一環であった。市内の日吉神社という神社のお祭りの出し物で、地元の民謡グループ「梅若会」の奉納演奏会があり、そのゲストとして英心さんたちが呼ばれたのだ。

 ぼくはもちろん英心さんたちの演奏を目当てに行ったのだが(司会の人が「県外からお越しの方は?」と投げかけたのでぼくが手をあげたら、「おっかけもいるんですねえ」と言われた。ある意味おっかけかもしれないが)、梅若会の演奏も素晴らしかった。この旅で秋田で民謡を聴こうとなんて思ってもいなかったが、民謡は多分秋田を代表する文化の一つだろう。

 そして奉納演奏会を聴きながら、あることに気がついた。民謡を聴いていて、英心さんたちの演奏を聴いていて、その組み合わせに違和感がない。方や日本の伝統芸能、方やお坊さんが率いる仏教レゲエバンド。場所は神社。神仏習合、なんでもござれ。厳格な見方をすると、ばらばらでめちゃくちゃな印象を与えかねない組み合わせだが、ぼくはその時間・空間の底を流れるあるものがあるように感じたのだった。

 

 ここで話は最初に戻るのだが、その時間・空間の底に流れるあるものとは、やはり「秋田の味」なのかもしれないと、今は思っている。民謡はもちろん日本の秋田の民謡なのだが、英心さんたちも秋田の歌を歌っている。秋田の土着の精神を歌っている。その日に演奏した曲目以外にも知っている曲があるからそう感じるのかもしれないが、ぼくは民謡も、仏教レゲエも、神社も、いったいその違いがなんなのだろうと思った。

 夜は、きりたんぽを食べ、いぶりがっこを食べ、秋田の日本酒を飲んだが、ぼくはそれだけではない、その日限りの「秋田の味」を味わった。秋田の旅はその一言に尽きるだろう。