ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

チべット空想旅行 「河口慧海」

f:id:nouvellemer:20180116211212j:plain

 チベットに行きたいけれど、そうすぐには実現できないことなので、本の世界に浸ることが最近の慰めです。
 そこで、あるガイド本を読んでいたら、ある人物を知りました。
 河口慧海(かわぐち・えかい)という人。
 明治の僧侶なのですが、この人こそが日本におけるチベットのパイオニアなのです。
 簡単に説明すると、当時鎖国状態だったチベット国に、中国の僧だと偽って入国。それも、旅の途中のネパールでチベット語をマスターして、そしてヒマラヤを一人で越えて、チベットに入っているのです。彼以前に日本人としてチベットに入った人は0です。
 軽く書いてしまいましたが、よく読んでみれば、普通じゃないことがわかると思います。クレイジーだと思います。
 具体的には、船でカルカッタ(インド東部のベンガル湾に面した都市)に渡り、ネパールに入り、チベット西部のカイラス山経由でラサに入っています。その途中、山賊に襲われたり、中国人だという嘘がばれそうになったり、様々な危機を乗り越えて、念願のラサ入りを実現しています。
 彼をそこまでさせたものは一体なにか。
 一言でいえば、チベット語での仏教の経典を手に入れるため、というもの。あくまで仏教の僧侶としての情熱がそうさせているのです。
 日本に入ってきている仏教というのは、いわゆる「大乗仏教」というもので、釈迦入滅後数百年経ってからできた仏教です。スリランカや東南アジアに伝わった原始仏教上座部仏教)が自己の悟りを開くことが目的なのに対し、大乗仏教衆生の救済に重きをおくのがざっくりとした違いです。大まかにいえば、自利と利他。
 その大乗仏教というのは、地理的にはインドから北に進み、チベット、中国を経由して韓国、日本に伝わっているという流れです。
 しかしその途中、中国で仏典は、当たり前ですが、漢字に訳されています。流れからいって、日本に入ってきている仏典はそれが元になっています。
 河口はそこに違和感を感じ、釈迦本来の教えが残っているチベット語での仏典をどうしても求めたい。そう思ってチベットに危険を冒してでも入った、というわけです。
 その旅の記録が、写真の『チベット旅行記』。
 これは発行当時、あまりの荒唐無稽さにデタラメなんじゃないかと真剣に噂されたほどだったといいます。
 ぼくも今現在読んでいるのですが、それがめっぽう面白い。
 信じられないくらいのぶっ飛んだ旅をしている、その記録が読めるのです。
 途中、自作の下手な短歌などを織り交ぜながら、ネパールでの出会い、ヒマラヤを越えるとき、カイラス山でのことなどを克明に記録しています(ラサでのことはこれから読みます)。
 まずもって、こんな人がいたのかという驚き。そしてその旅が実行されたという驚くべき事実。さらにその記録が今読めるという喜び。
 一体、河口慧海という人物はどんな人だったんだろう。
 想像するに、ものすごく豪胆な性格で、ガタイがよくて、それでいて頭がキレて、仏教に対して貪欲で、また人を魅了するなにかを持っていたのではないでしょうか。
 これから先を読むのが楽しみです。
 それが本当に面白かったので、こうしてブログに書いてしまいました。
 
 こうして旅のあれこれを空想しているのが、今の楽しみ。
 ということでした。