ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートエッセイ「1日目:山形と五月雨」

 

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 昨日の夜からむっとした空気が街を覆っていて、なんとなく過ごしにくかった。明日は雨かもしれない、と思ったらやはりそうで、昼過ぎから小さい雨が地面を湿らせはじめた。それはぼくが県中部の村山駅を出て、最上川に北上しているくらいのときだった。

 そこで、ふと思いついたことがある。

 芭蕉が『おくの細道』で山形を訪れたときはどうだったのだろう。

 どうだったのだろうというのは、天気のことだ。芭蕉は何日も滞在したことだろうし、その期間には晴れた日もあれば雨の日もあっただろうが、例えばぼくも今日訪れた立石寺(山寺)に来たときはどうか、羽黒山に行ったときはどうか。

 そんなことをふと考えていたが、特に調べることもしなかった。しかし、その後でふと閃いたことがある。「五月雨を集めて早し最上川」という句があるではないか。そこには「五月雨」という言葉があるではないか。というか、そもそも俳句には季語というものがあって、その句から季節は判明するではないか。ぼくは俳句には疎いので、そういうことに気がつかなかったのだ。芭蕉に憧れて最上川に向かっているのに、その句が頭に浮かんだのはなぜかそのときだった。自分でもよくわからない。教養のなさ以前の問題な気がする。

 「五月雨」ということになるとやはり5月か? いや、でも多分それは旧暦なので今の5月ではないだろう。それくらいは想像はついたが、スマホで軽くこの句について調べてみると、旧暦の5月は今でいう6月、そして五月雨とは梅雨の時期の雨をいうのだということがわかった。この文章を国語の先生に読まれたら「そんなことも知らなかったのか」と怒られそうだが、そのときはすみませんと言うしかない。(さらに書くと、芭蕉は梅雨の雨の降りしきる最上川を舟で川下りしていたのだそうだ。いったいどういった料簡なのだろう?)

 さて。ということで、芭蕉は梅雨の時期の山形を訪れて、雨の降りしきる最上川を下ったということがわかった。今はまだ山形は梅雨ではないが、近いことは近い。そして、ぼくが今日最上川を訪れたとき、小雨ではあるが、確かに雨は降っていた。ただ雨が降っているだけとなると気が滅入るだけだが、多少なりとも芭蕉と同じシチュエーションであると思えば、悪い気もしない。

 ただ、ぼくが行ったときは川下りの営業時間を過ぎていたので、ぼくはただ川沿いを歩いただけだった。芭蕉が川下りをしたポイントであるその村は、かなり田舎の村なのでぼくは誰もいない最上川沿いを、ぽとぽとと歩いていた。

 芭蕉と自分の決定的な雰囲気の違いを感じながら。