ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

わたしの平成の3冊 1位:『海辺のカフカ』(村上春樹)

 
 令和になりました。新元号も、当ブログをよろしくお願いします。
 平成を自分が読んだ本で振り返るコーナー「わたしの平成の3冊」第1位です。
 3位、2位は前の記事にあります。
nouvellemer.hatenablog.comnouvellemer.hatenablog.com
 
 1位:村上春樹海辺のカフカ』(新潮社)平成14年

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高校2年のときに、いろは書店で買ったハードカバー
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本棚に並ぶ『海辺のカフカ』以降のハードカバー
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繊維が透けて見える書道の半紙みたいな紙質が面白い
 高校2年のぼく(このブログを書いているぼく)は、部活動でトラブルがあってそれを辞めていた時期でした。家に帰っても特にやることがない。なので、本を読むことになる。特に趣味もないし、今みたいにスマホもない時代だったから、ぼくは家に帰って、廊下に置かれたソファで本を読む時期が続いていました(ぼくの場合はケータイすらも持っていなかった)。修学旅行のときになぜか札幌の書店で買った、スティーブン・キングの『アトランティスのこころ』という本を読んでいた映像が今でも思い出されます。そういう時期がありました。
 ある日の学校帰り、読む本がないなと思いつき、寄り道をして「いろは書店」に入ったときのこと、だいたいなんとなく眺める新刊本のコーナー(両手を広げたくらいで収まる小さなスペース)に、この本がありました。手前の方に平積みされていたのを覚えています。村上春樹の名前くらいは知っていましたが、今みたいに「ノーベル賞受賞ならず!」と馬鹿らしいニュースが流れるような時期でもなかったと思います。
 なぜその本を選んだかはよく覚えてないのだけど、とにかく買って、早速家で帰って読みました。
 それが、ものすごく衝撃的なくらいに面白かったのです。
 それまで、ぼくが読んでいた本といえば、江戸川乱歩とかあるいは現代作家のミステリが主で、文学的作品というのはほとんど読んだことがなかったのです。ましてや、子供のころは本はほとんど読まずに、お外で遊びまわっている子でした。だからなのか、この文学との出会いがぼくのその後の人生を決めたといってもいい過ぎではありません。
 今なにかをを書いて、それを本にして、人に配ったり売ったりしているのは、この本との出会いがあったからといっていいと思います。もし出会ってなかったら、ネトゲとかアイドルとかにはまっていたのかも知れません(特に根拠はないけど)。
 話としてはすごくシンプル。15歳になった田村カフカ君は、タフな人間になるために東京の家を出て、四国に向かいます。ある町の小さな私設図書館で佐伯さんという不思議な人と出会い、そこに住むことに。時期を同じくして、中野区でナカタさんという老人が行方をくらます。少し頭の弱い老人なんだけど、たまに空から鰯を降らせたりする、変なおじいちゃんです。そのナカタさんも四国に行くんですね。2人は決定的に直接コミットするわけではないけど、カフカ君は四国で様々な幻想的な体験をして(ジョニーウォーカーカーネルサンダースや中日のキャップを被った星野さんに出会ったり)、成長するというもの。カフカ君の章とナカタさんの章が、カットバックという手法で交互に描かれます。
 この本が他の青春ものの成長譚と違うところは、明確な筋書きがあって、線形的に時系列を踏んで成長するというわけではないところです。だからうまくいい表せないけど、とにかくカフカ君はそこでの経験を踏んで、新しいカフカ君になるのです。これは特にネタバレでもないと思います。
 カフカ君は世界一タフになろうとしていた。ぼくはといえば、当時も今も、吹けば飛ぶような軟弱な人間です。読んだとき、自分はタフになろうという気は微塵もないけれど、大丈夫なのかと感じた記憶がなぜかあります。
 しかしこの本、並の人間が書こうと思って書けるものではないと今でも思っています。話の筋というものが明確ではなく、順を追って理解できるものでもない(と思う)のに、なぜか全体として、ものすごいものを読んでいるという感覚があるのです。その感覚が不思議で、その後読んだ他の作家の本にはないものでした。これはいったいどうやって書かれたのか。小説を書くようになった今でも、全然わかりません。
 この本を語ろうとすると、なぜか抽象的な方向にしかいかないのですが、個人的な大きな出会いとしてこの本があるのです。これ以降、わりと多くの本を読んできましたが、やはりこれを超える出会いはありません。ぼくが今、アマチュアもの書きのようなことをやっているのは、この本があったからです。
 なんらメッセージ的なものも読み取れない、なにをいいたいのか全然わからない、読んでためになるわけでもない、役に立つわけでもない、妙で不思議な本だけど、そこには物語の効用のようなものがある。わけわからんけど、読むということで、他では体験できない唯一の独特な感覚になれる。それこそ小説の持つ最大の魅力ではないでしょうか。
 こういう体験を求めて、これからも本を読み続けたいと思っています。