ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

わたしの平成の3冊 2位『あん』(ドリアン助川)

 
 個人的平成の本ベスト3を書くシリーズ。今日は第2位です。
 3位はひとつ前の記事にあります。
nouvellemer.hatenablog.com
 2位:ドリアン助川『あん』(ポプラ社)平成25年

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表紙も好き
 ぼくと『あん』との出会い。
 ある夜、父の運転する車で金沢から珠洲に帰る途中、たまたまラジオドラマがやっていて、ぼくは助手席で聴くともなしに聴いていました。西田敏行竹下景子の二人だけで構成されていているもので、つまらない暴力事件で服役していた男が、出所後にどら焼き屋を始め、そこにお店を手伝いたいというおばあちゃんが現れ…というような内容でした。もちろんそれが『あん』なのですが、その番組も途中から聴いていたし、ちゃんと終わりまで真面目に聴いてもいなかったので、特にその後それを気にかけることもありませんでした(タイトルも記憶になく)。
 そしたらある日。ぼくは読書メーターというサイトで読書記録をつけているのですが、そのサイトは他のユーザーとの交流もできて、フォローしたりされたりというツイッターのように繋がれるサイトです。フォローしている人の読んだ本とその感想がタイムラインに流れてくるという仕組み。それを見ていたとき、ある人の投稿が流れてきて(ぼくの初めてのフォロワーさん)、その人が書いたあらすじを読んでみるに、これはまさにあのとき聴いていたラジオドラマの筋と同じではないか!と驚いたのです。そのとき初めて『あん』の存在を知り、妙な感覚になりました。その偶然の出会いにどこか引っかかるものがあって、すぐに買い求めました。文庫が出たばかりだったので文庫版を。
 あらすじをもう少し具体的に書くと以下のように。出所して雇われ店長としてどら焼き屋を始めたのは、千太郎という中年の男で、どうやらその筋のいざこざに巻き込まれたようで、受動的な態度があだしたのかもしれないと伺える。そこに、どこから来たのかわからない老女が、店を手伝いたい、わたしならもっといいどら焼きを作れる、と不躾なお願いをしてきます。男は邪険に扱っていたのだが、彼女の作ったというどら焼きを食べると、めっぽううまい。結局彼女を雇いはじめ、さらに常連の女子中学生ワカナちゃんも交えながら、どら焼き屋は変わりはじめる。しかしそのおばあちゃん、徳江さんというのだけど、どこか訳ありのようで、素性もよくわからず、手の動きが不自然にぎこちなく、字もうまく書けない。それから徐々に彼女のことがわかりはじめて…。その出会いは、千太郎にとってかけがえのないものになるのでした。
 著者のドリアン助川さんは、担当しているラジオ番組の人生相談のコーナーで、人の役に立たない自分には生きる価値があるのでしょうか、というような質問を受けたことがあり、そこで、人の役に立つことが生きる意味なんだろうかという疑問を持ったといいます。それを考えていてできた本が、この『あん』なのです。
 よくこの本は、ハンセン病のことに焦点を当てられて語られがちですが(上のあらすじには書かなかったけど、そういうテーマがある)、本当のテーマは人はなんのために生きるのか。過去、ハンセン病と認定され、不当な隔離処分をなされてきた人たちの苦難も含めて、ドリアン助川さんは、もっと大きなテーマ、人はなんのために生きるのか、を描きたかったといいます。
 ハンセン病は、過去「らい病」という名で、半ば差別的な意味で呼ばれ続け、その人たちが受けてきた差別は、私的にも公的にも、本当にひどいものでした。認定された者は、その見た目で差別感情を持たれて嫌な目で見られるだけでなく、国によって強制的に家族と縁を切られ、隔離施設での生活を一生続けさせられました。多くはそこで命を果てていったといいます。そういったことは法律で定められていて、その法律「らい予防法」がきちんと廃止されたのは、実は1996年(平成です)になってからだということも『あん』で知りました。このことになると義憤に駆られてとめどなくなってしまうので、あまり多くは書きませんが、気になった方はこの本や関連本を読んでみてください。また、この本がその入り口になるといいなとも思っています。
 さて、本当のテーマは、生きることの意味とは。
 もちろんネタバレになるので書きませんが、その答えめいたものに、ぼくは心の底から感動したのでした。それはよくいわれる、ありきたりで陳腐な綺麗事ではありません。もっと普遍的で、少なくともぼくにとっては、一生大切にしたいものでした。ものです。その言葉は、老女徳江さんの手紙で語られます。
 当時、ぼくは仕事のことで悩んでいました。うまく自分のことを話せないぼくは(こうやって書けはするけれど)、ちょっとした自分の言葉で誤解が生まれ、それがずっと解消されないまま、人間関係の不和を感じつつ仕事をしていました。問題が宙ぶらりんなまま、ぎくしゃくした付き合いを職場でしていたのです(従業員3人のすごく小さな職場)。
 なんのために生きるのだろう、などとはっきりと意識するわけでもなかったけど、ただ日々の生活がつまらないと思いながら、もやもやと過ごし、自分の意欲というかモチベーションを持て余していた時期でした。ただ、人生の大きな挫折をして、地元に帰ってきて、その職場で働き始めていたという背景はありますが。
 本を読んで、言葉を追っただけでこんなに感動したことは他にただひとつあるだけです(その本はこのシリーズでは書きませんが)。一生心の中に持ち続ける言葉だと思っています。
 弱者への眼差しのある作家です。常に、弱い人たちや虐げられてきた人たち、どうしようもなくつらい目に遭ってしまった人たちの側に立ち続け、本を書いてきた人だと思います。『あん』を書いてくれて、本当にありがとうと言いたい気持ちです。
 その答えめいたものは、なんら特別なことではありません。全ての人にとって意味のあることだと思います。それができない人はだめだとかいうこともいえないものです。そればかりは、これを読んでくださいとしかいえませんが。
 映画化もされましたが(ぼくが存命の日本人で一番好きな監督、河瀬直美さんで)、その言葉を直に感じようと思ったら、やはり原作でしょうね。これはどの映画化された本にもいえるでしょうが。ちなみに映画では、徳江さんは樹木希林が演じました。そして、純朴な女子中学生ワカナちゃんを演じたのはその孫だそうです(伽羅という芸名)。このワカナちゃんが本当によかった。佇まい、言葉、喋り方、表情、目、その存在そのものが尊く愛おしいようで、思い出しただけで泣けてきます。可愛い。そこは原作では感じなかったところですね。
 とにかく、ぼく個人としては、この本に出会えて本当によかったと思っています。あくまで個人的な出会いなので、内容を押し付けるものでは決してありません。ただ、ぼくにとって、この本がずっと大切なものとして残り続けるのだと思っている次第です。
 感謝の意を込めて。
 
 
次回:1位『海辺のカフカ』(村上春樹