若くて若いひとたちへ
今年の8月の終わり。
ぼくの母校の高校で行われている特別授業「ゆめかな」という、いわゆる総合学習?というやつでしょうか、縁あってその企画に呼ばれて、後輩の現役高校生たちにお話をしてきました。
企画としては、珠洲に住むUターン、Iターンの若者にお話を聞くというもので、今年はコロナ禍でオープンキャンパスができない中、大学を出た人たちに来てもらって逆オープンキャンパスのようなことをしようというものです。「ゆめかな座談会」と称して、特別授業の中の特別版といったところ。
講師として呼ばれたのは、ぼくを含めて15人。ほとんどがぼくと同世代のIターン者でした。これをきっかけに新たな出会いができたのは、また別の話ですが。
そこでぼくがどんなことを話したかということを、今回のブログでお見せしようと思いました。
語ったテーマは、大学でなにをこころざしたか、その後どんな人生になったか、ということ。具体的には、建築と、旅と、本について。
使ったスライドを載せながら語りたいと思います。
ぼくが大学で建築学を学びたいと思ったきっかけは、高校2年生のときにたまたま見かけたテレビでした。
そこで建築家の人が出てきたのですが、覚えている風景は、事務所で図面を引いたり議論をしたりするものではなくて、単純に木造の住宅を施工している現場です。
建築を「作る」という光景を見て、電気が走ったのでした。その瞬間に、その後のこと全てが決まったのです。迷いは一切ありませんでした。
大学を新潟大学に決めたのは、建築学科があるところで、国立で、近くで、といった程度のもので、それほど貪欲に高みを目指したわけではありませんでした。
それで、大学でどんなことをやっていたかについて。
建築学科には設計課題と呼ばれるものがあって、それが好きで楽しかったこと、学生らしく写真部での青春を楽しんだことについて軽く。
そんな中で、ある教授に言われたひとことが、のちのことを決定づけたのでした。
建築の勉強とは、旅をすること本を読むことだ。
たくさん旅をしていい建築を見ること、そこでその土地を知ること、学ぶこと、それから本を読んであらゆる知識をものにすることだと。建築はまさに総合芸術なのです。
その言葉に「なんていい学問なんだ!」と目が開けたのです。
自分勝手に妄想を膨らまして解釈したぼくは、その言葉だけを頼りに、その後の学生生活(とさらにその後)を送ったのでした。
建築という世界に夢?を見たぼくは、もっと高みを見てみたい、もっと一流の世界を見てみたいという野望が生まれました。
それから、研究者になるのもありかな、という理由もあり、東京大学の大学院に進みます(1日14時間勉強しました)。
東京では、建築を含めた学び、文化、芸術…全てが面白くて、一度はこういう場に出てみるのもありだよということも言いたかった。
この時期にいろんなところに旅に出ました。ほとんどが国内ですが、台湾に行ったことについても。
建築の現場で学ぶということも、このころに体験。新潟時代の先輩の縁で、ある事務所に行っていたこと。それから、大学院の募集で、大阪にある安藤忠雄先生の事務所に1ヶ月住み込みでアルバイトに行ったことについて、ここだけ熱をもって語りました。
東京での日々は、本当に劇的な毎日でした。
しかし、それは大きな挫折の始まりでもありました。
環境の変化から、適応障害のような事態に陥り、結果心身を壊したのです。
それまでのぼくの人生というものは、大した挫折もないものでした。学校では、だいたい成績はトップクラスだったし、嫌なことには関わらなようにしてきたし、なにかに打ちのめされるような経験はゼロです(モテなかったけど)。
執筆活動を開始したのは、そんな時期でした。
詩を書き始めたのです。それは書こうと思ってしたわけではなく、自然と生まれてきたものでした。一時期の霊感のようなものですが、それは、建築をこころざして勉強してきたこととは無関係ではないはずです。
結局、珠洲に戻ってきました。
仕事もせずに、文字どおり自宅近くをふらふらしていたら、ある珈琲屋のオーナーに声をかけていただいて、そこで働き始めたことについてなど、あんまり参考にはならないよなと思いながら話していました。
執筆活動は継続して、「かく」という冊子を続けていることも、現物を見せながら。
しかし、ぼくの頭の中に浮かんでは消え、また浮かんではぼくを誘惑する、ある言葉があります。
建築の道に進まなかったはずなのに、ずっとこの言葉が頭から離れなくて、その実体を失ったまま、〈旅〉と〈本〉とが膨らんでいったのです。
インドに行ったことについて。
写真を見せました。楽しかったな〜。
で、本についても。
ぼくがこうして本を作ったりしているのは、この一冊(二冊)があったからです。
詳しくは過去記事にもありますが、高校2年生のあるとき、地元の「いろは書店」で村上春樹の『海辺のカフカ』を手に取ったことが全ての始まりです。ものすごく大きな大きな一冊なのです。この本を読んだときに感じた感動をまた味わいたくて、次から次へと本を旅しているような気もします。
そしたら、自宅の本棚はこんな感じになりました(一部です)。
結局なにを言いたかったのか?
要はこういうことなんだと、このスライドを作りながら、自分でも気づいたのは、この3つ。
とにかくなんでも見てみたい。なんでも知りたい。
ぼくの心と体を動かすエンジンは、知的好奇心という永久機関です。
それはどこに向かっているかというと、結局は「感動したい」という大きな欲求なのです。
人は感動するために生きていると思っています。少なくともぼくは。
そいうことを、後輩たちに伝えたかったのだと、自分でも気付かされたし、そう考えると、これは本当にいい機会でした。
それから、珠洲で現在どうしているのかなどを話して、〆ました。
「珠洲から珠洲へ」という副題はちょっと気に入ってます。
若くて若いひとたちへ。若いけど、実はもうそう若くはない若者より。