東京旅行レポート ② 顔真卿展
2月24日、日曜日。
今回上京した本当の目的は、顔真卿という書家の展覧会のためでした。
過去記事参照です。
nouvellemer.hatenablog.com
顔真卿自体だけでなく、中国の書道の歴史(日本も少し)を相当ダイナミックに俯瞰する展覧会で、かなり有名な作品が揃うということで、ずっと楽しみにしていました。 顔真卿展と謳うくらいですから、メインは顔真卿で、その中でも「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」という有名な作品が目玉です。
というものの、自分ではその素晴らしさをよくわかってはいなかった。ぼくが勉強してる会派の教本で、その作品の臨書はしてきたものの、ただ文字を真似るだけで、作品としての価値は理解できてませんでした。
それが、今回の大規模な展覧会を機にしたのか、テレビなんかで取り上げられることがあり、ぼくもそれを見たのですが、それでやっと理解できたところもあります。受け売りですが、以下のようなことです(過去記事と重複します)。
唐の時代に、すでに書家として名を馳せていた顔真卿は、国の役人でもありました。時の王は玄宗。非常に素晴らしい皇帝だったらしいけど、老いぼれて楊貴妃の美しさにうつつを抜かしていた時代でした。それを見計らったように、安禄山が反乱を起こします。史思明とともに蜂起したので「安史の乱」といわれた反乱です。それに国側として出兵した顔真卿でしたが、一族の何人かをその戦乱で亡くしました。特に「姪」(「めい」ではなく1世代下の子。この場合はいとこの子の男)の顔季明への思いは痛切だったらしく、彼のことを追悼する意味の文章を書くときの草稿が「祭姪文稿」なんです。草稿なので、清書とは違って、推敲の跡や塗りつぶしも多々あります。
ではなぜそんな下書きが中国書道史最高級の名品なのかというと、著者の著名さに加えて、その名書家が感情を発露した爪痕のようなものが生々しく見られるというところです。実はこのころ(8世紀)、書は芸術作品としては確立されていたものの、それはあくまで行儀よく律儀で真面目な筆法で書かれるのが一般的で、このように書家の感情が爆発したものが現れることはほとんど初めてだったようです。筆を持って文字を書く以前に、文字を知っているだけでもハイソサエティだった時代ですし。
顔季明、おまえは将来を嘱望された素晴らしい人物だった、おまえの父さんは素晴らしい人だった(顔季明はその父の前で斬首された)、などというつらい感情をしたためた文章が綴られています。自分は生き残ったけれどこれでよかったのだろうか。こういうつらさは、当たり前だけど今も変わらないはずです。 中でも、“嗚呼哀哉”(ああ、哀しいかな)という部分が有名で、肉親を失った哀しさが、うねるような筆遣いで現れているとされています。
と、客観的事実ばかりを書きましたが、個人の感想をいうと、ものすごく感動しました。
もちろん、そういう事前知識ありきなんですが、本物を目の前にするとまた別格。本で見ていたのとは全然違う感動があります。書は二次元のようですが、実はそうではないのだということを思い知りました。大袈裟だけど、自分の書道への意識が変わる転機になるものだったと思います。二次元云々じゃなくて、何次元でも増えるような可能性のある世界なのだと思います。
他の展示作品もよかった。顔真卿だけでなく、あらゆる書家の作品(王羲之、欧陽詢、褚遂良、虞世南、蘇軾、懐素、王鐸、董其昌、米芾…)のホンモノがあります。これは本当に行ってよかった。それらをまとめた本展の図録は、全書道愛好者必携です(ほんとに)。 大満足のまま会場を出たのは、10時に入場待ちの列に並び始めてから4時間半後の午後2時半でした。
本当に疲れた。実はこの後、隣の国立西洋美術館で、ル・コルビュジエ展がやっていたのだけど、それはかなり流し見って感じでふらっと寄っただけでした。疲れて歩く気も起きず…。でも、世界遺産になってからは初めての入場で、改めてコルビュジエの空間を体感。これはもはや「歴史」「古典」、まさに「遺産」だなという実感でした。過去のものというか…。
だから、今日のメインイベントは終了ということで、書くべきことはこれくらいです。次回、おまけとして、その他的に旅のあれこれを紹介する予定です。よろしくお願いします。