ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートノベル「6日目:岩手の人とカッパと(1)」

 
「お兄ぢゃん、おもしれえ時計してっなあ」
 遠野駅を出ると、すぐに声をかけられた。声の主は客待ちのタクシー運転手のおじちゃんで、花壇に腰掛けて暇そうにしている。隣には同業者が煙草をふかしている。僕はその言葉が自分に向けられたものかどうか、最初はわからなかったのだが、僕の腕時計は確かに変わったタイプのもので、よく面白がられるので、もしかしたら僕に向かって言ったのかと思い、振り返ると彼がいたのだ。
「これですか?」
 ぼくは自分の腕時計を巻いている左腕を彼に差し出すかたちで言った。彼は近寄ってきて、
「おお、なんだこれ? これが秒針か?」と面白がる。
「いえ、ええと、これは分針で、人の顔が出てるのが時針です」
「おお。こうやって顔さ出てくっかや?」
「そうです。時間に応じて文豪の顔が出てきて、これが時間で、この針が分です」
 僕はこの変わった時計の仕組みを解説した。よく人に説明するので、もう慣れたものだ。
「お兄ぢゃん、どっからだ?」
 彼が聞く。この質問にもそろそろ慣れてきたころだ。これで僕の東北滞在は6日目になる。
「石川から来ました」
「おお、石川か。新幹線さ通ったな。観光客いっぱいだろぉ?」
「そうですね。金沢の観光地は人だらけですよ。ホテルも高いし」
 僕が言うと、今度は隣で煙草をふかしていた同業者が、
「おらぁ、金沢さ、新婚旅行で行っだなぁ」
 と発した。すかさず、はじめのおじさんが
「40年前の話だろぉ?」
 と言って、二人で笑っていた。ぼくはそれを苦笑いしながら見ているだけだ。
 それから昼食にお勧めの店はないかと訪ねたが、「その辺さ探しで、見つけるしかねえなぁ」と、つれない返事だったので、僕は、しかたないのでガイドブックに載っていた美味しそうなお店に向かった。
 そこはすぐに見つかった。駅から徒歩5分ほどの、古民家を改修したカフェ。僕はパスタのランチに目をつけていたので、入ってすぐにそれを注文した。綺麗な年配の女性が、上品な笑顔で対応してくれた。彼女が一人で切り盛りしているようだ。僕の他には、二人連れの女性客がいるだけで、二人はどうやら常連らしい。店員の女性と親しげに笑い合っている。店にBGMはなく、シーリングファンがカタカタと静かに回っている。
 僕はパスタを待っている間、ガイドブックを広げて今日の計画を立て始めた。すると早々、
「お兄さん、市外の人?」
 常連客の一人が言った。僕から見て店の奥の方に座っているショートカットの女性だ。
「ええ……。市外というか、県外です」
 もしかしたら、「市外」ではなく「市街」のことかもしれないと思ったが、ここ自体が遠野の市街のようなので、おそらくこの答えで合っているだろう。いや、しかし遠野はどうなっているのだ。これほど次から次へと話しかけられる街なのか。一人もんに気安く話しかけるような風土なのか。しかし僕は嫌な気分はしない。もちろん気を使って話しかけるような雰囲気でもないし、ごく当たり前のように、なんのためらいもなく彼らは声をかける。人懐っこい印象を受けるし、旅先での現地の人との会話は、一人旅の醍醐味でもある。
「ほお、県外?」
「はい石川県です」。僕は今日の計画を立てる暇もない。
「遠いとっから。ご苦労さんだ。そしたら遠野さ回ってるんだか?」
「はい。でも今着いたところで、これからです」
「ほう、そうか。じゃあ、やっぱカッパ淵は行ぐか?」
 カッパ淵とは、遠野のメイン観光地で、柳田國男の昔話で有名なカッパの話の舞台となったところだ。常堅寺というお寺の境内にあり、そこでカッパを探すというのが、遠野のメインイベントとなっているのだ。
「はい。カッパ淵は行こうかと」
「そしたら、伝承園も近いな。自転車で周るか? 遠いぞぉ。行ぐとき坂道さあっからなぁ。今日は天気いいからばてんなよぉ」
 その後は、次から次へと、彼女による遠野の名所のプッシュが始まった。「市立博物館に行ってほしい」とか、「千葉家はいいけど、遠いなぁ」とか言いながら、僕に相槌する暇を与えずにしゃべり続けていた。
 パスタが運ばれていくると、彼女は気を使ってか、僕に話しかけるのをやめた。そしてそのまま僕が帰るまで話しかけるのことはせず、会計のときにお互い軽く礼を言って別れた。これから彼女に会うことは一度もないだろことを考えると、不思議な気持ちになった。
 店を出て、駅に戻る。予定どおりレンタサイクルを借りて、僕は地図を頼りにカッパ淵へ向かった。
 遠野はよく晴れていた。確かにカフェの常連客が言ったように、日差しが強くて、自転車をこいでいると汗ばんできそうだ。地図によれば、カッパ淵までは5キロほどあるようだ。僕は緩やかな坂道を、ギヤの壊れた自転車で必死に登っていた。
 一度通り越してしまったものの、カッパ淵には無事着くことができた。半袖を着てきたものの、背中にはじっとりと汗をかいていた。
 常堅寺は特に拝観料は必要なく、カッパ淵も含めて見学自由になっている。僕が着いたときは境内に人影はなく、寺の裏の方から工事かなにかの音が聞こえるだけだった。
 <カッパ淵はこっち>と書かれた手作りの看板がすぐに目につき、僕はそれをたどっていく。寺の裏に出ると、どうやらそれと思しき風景が広がる。幅3メートルほどの浅い川が静かに流れ、それを木立が覆っている。涼しげな空気が僕に安心感を与えてくれた。まさに「淵」という言葉がしっくりくる場所だ。工事中の小さな橋を渡ると、その淵に出る(「工事中ご迷惑おかけします」の看板には、ヘルメットをかぶったカッパが頭を下げた絵がある)。
 淵の長さは30メートルほどで、その中ほどに祠がある。ここにはカッパが祀られている。案内板によれば、『遠野物語』に登場するカッパの伝説によるもので、彼(カッパ)は、川辺で涼んでいた人の馬を川に引きずり込もうとしたが、かえって引きずられてしまい、厩の前まで来てしまったとのこと。また、この寺が火事に遭ったときに、得意の水鉄砲で火消しに尽力したのだとか。それとこれは同じカッパなのかはわからない。
「同じじゃねえよ」
 振り返ると、小さな緑色の爬虫類のような生き物がいた。
 
(つづく)