ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートノベル「6日目:岩手の人とカッパと(5)」

 
第1回
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第2回
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第3回
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第4回
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(承前)
「しかたねぇな。帰るしかねぇか」。坂を下りながら、カッパが残念そうに言う。
「いえ、僕はもう十分です」。心にもないことだが、僕は、あとは記憶に止めようと思った。
「本当はあんたさんにも毛越寺さ見てもらいてぇんだけんどよ」
「モウツウジ?」
 聞き慣れない単語だが、確かそんな寺も世界遺産の一つだったような気もする。
「知らねえか。髪の毛の『毛』に越後の『越』で、毛越寺
「ああ、あれはモウツウジと読むんですか」
「んだ。そんなことも知らねぇで平泉さ来たか」
「ええ……」僕はカッパに馬鹿にされたことを単純に恥じた。「でも、行かないんですか?」
「んだな。あんたさんの時代さ戻っても、その跡しかねぇしなあ。ぜひとも現役の毛越寺さ見てもらいてぇんだけんど」
「え、そんな。行きましょうよ」
 僕は、そういえば毛越寺といって浮かぶ風景は、(おぼろげだが)だだっ広い湖と緑が広がるシンプルなものなのを思い出して、今現役時代の毛越寺が見られるのなら、本当に見てみたいと思ったのだ。
「そうか。したらば、ちょっと歩くぞ」
 
 カッパに付いて、途中小高い丘を越えて、30分ほど歩いたら、大きな伽藍らしきものが見えてきた。生垣に囲まれたの向こうに、巨大な屋根がいくつも広がっているのが見える。
「あれですね」。僕が言うと、
「んだ。しかし……」とカッパは気の進まなそうな顔をしている。
「どうしたんですか?」
「またオラみてぇのが見つかるとよぉ、追い払われっからなあ」
「でも参拝客はいなんでしょ? また見つかったら逃げればいいじゃないですか」。僕は妙に見る気満々だ。
「んだども、今日は、なんちゅうか、イベントさあるんだ」
「イベント?」。僕はこの時代に似つかわしくない横文字に少し笑いそうになったが、それよりもそのイベントとやらの内容が気になった。「どんなイベントなんですか?」
「曲水の宴ってやつだ」
「はあ。なんか、聞いたことのあるような」
「貴族のやってる雅なイベントだ。ゆっく〜り流れる小川、遣水っていうんだけんど、その遣水に杯さ流すんだ。貴族たちは遣水の淵さ座ってて、自分とこに杯さやってくるまでに和歌さ一首作るってやつだ。聞いたことあんべ?」
「ええ」。僕は確かに聞いたことはあった。現代でもそれを復活させて、年に一度だけ毛越寺(現代のだが)で催しているというのをテレビで見たことがある。「それがやってるのなら見ましょうよ」
「んだか。したらば行ぐか」
「だってそのために来たんでしょ? 気の進まない顔しないでくださいよ」
「んだな」
 カッパはあまり晴れない顔をしていたので、もしかしたら、さっき僧侶に「カッパの来るところではない」と言われたことで傷ついているのではないかと思った。また今度は貴族にそう言われるのを恐れているのだ。
「んなこたねぇ」
 カッパが怒ったので、僕は「まあまあ」と言って、軽くなだめた。
 
 僕たちは生垣の隙間から、遣水の流れているのを確かに視界に収めていた。
 本当に「曲水の宴」の最中で、貴族らしき人たちが等間隔でゴザらしきものに座り、傍に筆、硯、紙、文机がある。さらに朱色の傘がパラソルのようにさされている。
 具体的になんという言葉かはわからないが、歌が節をつけられて詠まれているのが聞こえた。確かに雅だ。僕が平安貴族に抱いている典型的なイメージとほぼ合致する。
 しかし僕は、その本物を目にしているということにいまいちピンとこなくて、それは映画のセットかなにかのようにして眺めていた。あまりにイメージと符合するものだからか、現実感がないのだ。貴族だって、少し妙な感じはするが、テレビの画面から出たような印象だし、伽藍も真新しく、非現実的な輝き方をしている。それが中尊寺金色堂ほど突き抜ければ感動を生むかもしれないものの、現役の毛越寺は、僕にとってはやや違和感の残るものというのが正直なところだ。それは僕の持っている貴族や寺社のイメージが貧弱だからかもしれないが、今現役の毛越寺を目にしてそのように思った。カッパには申し訳ないが。
「まあ、こんなもんだろう」。カッパが言う。
「わ!」
 僕が一人でじっくり考えていたところに、カッパがいきなり相槌のようなものを打つので、びっくりして大きな声を出してしまった。すかさずカッパが「しっ!」と、口元に(くちばし元に)人差し指を当てた。
 するとそれとほぼ同時に、僕は貴族たちの視線を感じた。その方を見ると、やはり気づかれたようだった。
 
(つづく)