ホーム・アンド・ジャーニー

ふるさとの珠洲(すず)と、そこから出てそこへと帰る旅にまつわるあれこれ。

東北旅ショートノベル:6日目「岩手の人とカッパと(最終回)」

 
第1回
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第2回
http://www.nouvellemer.jp/entry/2017/05/31/193703www.nouvellemer.jp

第3回
http://www.nouvellemer.jp/entry/2017/06/06/210010www.nouvellemer.jp

第4回
http://www.nouvellemer.jp/entry/2017/06/12/174254www.nouvellemer.jp

第5回
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(承前)
「今変なところから声が聞こえたような」
 ゆっくりではあるが、貴族の一人が僕たちのいるところまで歩んできているのがわかる。僕たちはわずかばかりの木陰に身を潜めて縮こまっている。見つかるのは時間の問題だ。
「声なぞしたか?」
「はて?」
 と、続々と貴族(だろう)が集まってきているのがわかる。ジーパンにポロシャツという僕の現代的な服装を見てどういう反応をするのか興味はあるが、今は気配を全力で消すしかない。僕たちはじりじりと動きながら、よりよい木陰に移動しようとしていたが、無駄な抵抗だろうことは二人とも理解しているようだった。貴族たちは、ただぶらぶらと興味本位で捜索している程度のことだろうことは感じられたが、過剰に危機を感じたのか、カッパが、
「仕方ねぇ」
 と言って、僕の手を引っ張って境内の方へ走り出した。僕はそれについていくしない。
 当然、境内では、
「カッパじゃ!」
「カッパがおる」
「もう一人はなんじゃ? 奇妙な男じゃ」
 と、騒然としだした。
 しかし、僕たちを捉えようとするような勇気のある貴族はおらず、皆おどおどとしているだけだ。もしくは訳の分からない状況にどうすればいいかわからなくなっているのだろう。離れたところに警備の武士らしき影は見えたが、彼らも状況を理解できていないようで、僕たちは不自然に時間の止まった毛越寺の境内に立っていた。
 それを確認したカッパは、
「すまねぇな!」
 と言って貴族たちに手を挙げてから、僕の腕を引っ張ってまた駆け出した。
 駆け出した先は遣り水だった。深さは数センチほどで、流れているのかいないのかわからない程度の水溜りに、カッパは僕の腕をしっかりと握ったまま飛び込んだ。
 僕の体は、深さ数センチしかないはずのそれに水没したように感じた。
 
 息ができない苦しみから解放されたと思ったら、自分が、さっきまでいた毛越寺の遣り水のほとりにいることがわかった。しかしすぐに明らかにさっきとは様子が違うのを感じた。貴族たちが曲水の宴をやっている真っ最中なのは一緒なのだが、その向こうに大勢のギャラリーがいて、カメラを構えている人たちもちらほらと見かけられる。そしてすぐに、彼らが皆僕の方を興味の目で見ているのがわかった。
 あたりがざわつきはじめたと思ったら、警備員らしき人が僕の方まで走ってきて、
「ちょっと困りますよ」
 とかなんとか言って、僕の腕を取り、ギャラリーの外へ引っ張りだした。僕はその間「すいません、すいません」とずっと謝っていた。ギャラリーの一部の冷たい視線が痛い。僕は恥ずかしくなって、その場から逃げた。
 境内の外に出たとき、ようやく僕は現代に戻ったのだとわかった。自動車が駐車場に停まっているし、なにより先ほどいた大勢のギャラリーはどう見ても現代人だ。貴族に見えた人たちも、その格好をした現代人だろう。どうやらカッパが遣り水の中に飛び込んだことで、僕は現代に戻ってこれたようだ。
 そこまで考えて、僕はカッパのことを思い出した。
 カッパは? 彼はどこに?
 あたりを見渡しても彼はいなかった。僕はリュック一つで毛越寺の門前に立っていた。恐る恐る、
「カッパ……?」
 と声を出してみたが、返事はない。近くにいたおばさんに変な目で見られただけだった。
 もしかしたら彼は現代にはいられないのかもしれない。僕と彼が出会ったのは確かに現代だが、あれは遠野のカッパ淵でのことだ。現代でもぎりぎりカッパに会う可能性はある。というと人からは笑われそうだが、僕は実際に会ったのだから仕方がない。僕は幸運にも、そこで彼と出会うことができた。しかし、そこから遠く離れた平泉で彼と話をすることはできない。できないのだろう。考えてみれば当然のことだ。さっきまで当たり前のように一緒にいたのだが、それはここではできない、もしかしたら一生できないのだと思うと、いいようのない寂寞とした思いが湧いてきた。
 僕は彼の名前も知らないまま別れてしまった。いや、またカッパ淵へと戻れば再会することはできるかもしれないが、それはまたなにか特別な機会に恵まれないと不可能なような気もする。会って一言礼を言いたいのだが、遠野から70キロほど南下したここからまた戻ることを考えると、予定していた旅が完遂できない。いや、それくらい予定を変更すればいいのだが、僕はなぜか億劫になり、時計と予定表とにらめっこして、とりあえず今日の宿泊地の北上まで戻ることに決めた。北上は平泉から東北本線で6駅北に行ったところで、遠野に少しは近づくものの、どっちみち今日中に遠野に着くことはできそうにない。潔く、北上で休もうと思った。
 毛越寺から歩いて平泉駅まで着いたときには、日は暮れかけていた。部活帰りの学生たちがちらほらと駅の待合室に集まってくる。ここは自動改札がないので、時間になって駅員が立たないとホームには入れない。学生たちが闊達に、あるいは細々とした声で話しているのを、僕は聞くともなしに聞いていた。
 定刻どおりに下り列車がやってきて、僕と学生たち、その他の乗客はそれに乗り込んだ。かなりの人数で、列車は2両編成しかなかったので車内は混み合いそうだったが、幸い、僕は列の先頭の方にいたので、座ることができた。長い座席が列車の両端にあるタイプの車両で、座れなかった人たちはつり革につかまるかたちで立っている。それぞれに器用に本を読んだり、音楽を聴いたり、話し合ったりしている。学生が多いこともあってか、賑やかしい。
 僕は外の景色を見ようと、上半身をひねるかたちで振り返ろうとして、あることに気がついた。これだけ車内が混んでいるのに、僕の左隣の席だけが空いているのだ。これだけ多くの乗客が立っているのに、なぜ誰も僕の隣に座らないのか。僕が変な匂いでも発しているのだろうか。でも右隣はいるし……。
 北上駅までの各駅で乗り降りがあった後でも、それは変わらなかった。依然として僕の左隣は空いている。
 しかし、もうすぐ北上駅に着こうかというときに、僕はようやくその意味を理解した。そしてなぜすぐに気づかなかったのかと自分を悔やんだ。間もなく北上駅に着いて、
「北上〜北上〜。お降りのお客様はお忘れ物のないようにご注意ください」
 とアナウンスがあったとき、僕は軽く上半身を左にひねり、
「ありがとう。楽しかったよ。またね」
 と、独り言のようにほっそりとした声で呟いて、開いたドアから列車を降りた。
 
 (完)
 
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